父から教えられたエンバーミング

小学校5年生か6年生のころ、あまり家に居ることがなかった父が口を開けば「アメリカには凄い技術がある!」とエンバーミングの話をよくしてくれました。当時は、父の職業である葬儀屋についてよくわかっておらず、『遺体』や『死体』など漠然としたイメージだけで具体的にどのようなものかさえも理解していませんでした。自転車にのって友達と出かけた時には、霊柩車を見つけると「あっ、やばいやばい…」といって親指を隠し通り過ぎるのを待っていたほどでした。あとになって気づけば、父がいた会社にはいつも霊柩車が停まっていて驚いたことが懐かしい記憶です。

父は義理の叔父が営む葬儀社にお世話になり、たたき上げで経営者となります。義理の叔父に手ほどきを受け、葬儀の機尾、仕事の機尾、そして人の機尾を教わり大成します。そんな父が大切にしていた言葉は「ご遺体をどこまで大切にできるか!」でした。
義理の叔父から大きな影響を受けてきた父は、現場を通して行きついたのがアメリカの凄い技術、エンバーミングだったのかもしれません。

父の言う「アメリカには凄い技術がある!」は、『遺体』や『死体』を綺麗にするという点とそれに伴う技術だけが印象として残りました。父がワクワクしながら話す様子や口調がそのまま私の意識の中で膨らみ、「凄いことなんだ!」と徐々に傾倒していったことを覚えています。

そんな中、小学校の卒業を間近に、“将来について”の作文を書くよう担任の先生から発表がありました。私は迷わずエンバーミングについて書くことに決めました。
当初は、『エンバーミング』や『エンバーマー』などといった言葉は知りません。ただ知っていたのは、『死んだ人を綺麗にする』や『特別な医者』くらいなものです。表現に困った私は母に相談して「死んだ人を綺麗にするお医者さんになる」とタイトルを定めました。それからは、父から聞いた話をそのまま表現し、文書の構成は母が直してくれました。記憶では、母と2、3日かけて完成させたような気がします。母の厳しい指摘が嫌で嫌でたまらず途中で投げ出したくなるほどで、完成した時には胸を張って担任の先生に提出したことを覚えています。

ところが…….
先生の驚いた表情と困惑する様子は今でも忘れません。小学生の低学年のころ、当時の担任の先生に「お父さん何しているひと?」と聞かれたときに「葬儀屋!」と答えたことがあります。答えた瞬間、笑顔が急に曇り口元をゆがませ、微妙な間、何ともいえない表情が子供ながらに「どうしたんだろう?」と思ったことを思い出しました。
その先生も同じような顔して、タイトルを指でなぞりながら「死んだ人を綺麗にするお医者さんになる」に絶句していました。絶句のあとは質問攻めです。「死んだ人を綺麗にする…….」からはじまり、「お医者さん……」と呟いたあと、「こんなこと出来るの?」や「誰がするの?」、「日本でしてる人はいるの?」などと困惑しながら。私は得意になって、これまで得た情報を惜しみなく伝え、一生懸命に説明しました。先生には私がどんな風に映ったかは知る由もありませんが、説明を終えたあと、理解は示してくれたものの、困った様子で頭を抱えながら「あとでゆっくり読んでみるね!」と言われ席にもどりました。
数日後、担任の先生から伝えられた言葉が「あの作文出せない!だから、皆にわかりやすいことを書いて!」でした。主な理由は「皆にわかりずらい」だった様な記憶ですが、今思えばもっと違った理由があったのでしょう。内容が内容だけに受け入れてもらえなかったのかもしれません。母が抗議したかは記憶にはありませんが、あまりのショックで2、3日学校を休んだことを覚えています。おそらく、担任の先生も心配したでしょう。しかし、この件で立ち直ることはなく、皆にわかりやすい将来を描けないでいました。結局、作文の提出期日当日に将来についてではなく、ごく日常の通学班班長の想い出話で終わってしまいました。想い出話といっても、なんとも味気ない内容で提出するのも嫌でした。

振り返ると、父からの話、自身で理解しながら活字にし表現できたことが何よりの成果でした。形には残りませんでしたが、自身をその道に導くためのベースになったことは間違いありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です