導かれたエンバーミングへの扉

車の免許を取ったばかりの18歳、友達と横浜へドライブに出かけました。ところが、朝比奈峠で自損事故。カーブを曲がりきれず激突。フロントはぐちゃぐちゃ。しかし、なんとか運転することはできたので、朝比奈峠から埼玉の自宅へ夜通しかけてゆっくり帰りました。

朝方、家につくと普段居ることのない父がリビングにいたました。起きたばかりの様子で、素通りしようとすると声をかけられました。すると「今朝、兄弟の誰かを叱っている夢をみた!」と言うのです。一瞬、背筋が凍りつき「俺だあ!」と足が止まりました。万事休す。父に正直に事故のことを伝えると「なにー!」と言いながら車のところへ。帰ってくると、こんこんと叱られました。その後、父はシャワーを浴びて背広に着替え、会社へ出かけようとしたとき「車直してやろうか!」と。耳を疑うものの、次に「条件がある!」と。そして「明日から会社に来い!」でした。嬉しさの反面、「会社に来い!」が怖くて、何をさせられるんだろうかと。

翌日、父の会社へ行きました。既に責任者の方が待ち構えていて、黒服と黒いネクタイを渡されました。着替え終えると、エレベーターを指さしながら地下へ行くようにと指示されました。嫌な予感を抱きつつエレベーターのボタンを押して地下へ。扉が開くと、手術室のような部屋。壁はタイル張り。手術台のようなものものしいテーブル。壁の側面にある棚には、あやしい器具。一つ一つをドキドキしながら眺めていると、頭に浮かぶのは『死体』の2文字。「何だここは!」と戦々恐々でした。

不思議なことに、この時点では「死んだ人を綺麗にするお医者さん」に結び付かなかったんです。恐らく、もの凄く緊張していたからかもしれません。

しばらくすると大きな外国人の方が部屋に入ってきました。手術着をまとい、眼が合うと「Hi,!」と一言。そして、日本語で「私はエンバーマーです。ジェフです」と挨拶してくれました。日本語を話せると思って一安心したのもつかの間、その後は全部英語で理解不能でした。

まいったなあと思っていると、エレベーターの扉が開き、白いシーツにくるまれた物体がストレッチャーごと運ばれて部屋へ。「やっぱり『死体』だっ!」とフリーズ(freeze)状態。

葬儀の担当の方から「勉強?」と声をかけられ、車を治すためとは言えず「はい!」と返答。短い会話を交わしていると、通訳の方が現れ、担当者からの要望をジェフさんに伝えていました。話が終ると、ご遺体の服を脱がせ洗浄。そして器具を持出し、首元を切開。血が出てきて、「何してんの!仏さんだよ…」とあまりの恐怖に部屋の隅へ。ジェフさんはその様子をみてスマイル。こっちはスマイルどこではなく、部屋から飛び出したい気持ちに。

それ以降は、気持ち悪くなって部屋から出たり入ったり。挙動不審な行動をとっているうちに、最後の洗浄が終り、別のテーブルにご遺体が移されていました。

鮮明に覚えているのは、ご遺体はおばあちゃんだったのですが、あたかもお風呂上りのスッキリした様子。頬に血色があり、とても綺麗で死んでいるとは思えないくらいでした。さっきまで怖くて見ていられなかったのに…。言い方は適切じゃありませんが、死体から遺体へ、物から人へと思うくらい、魂を吹き込んだかのような変化に驚きました。

この時はじめて「死んだ人を綺麗にするお医者さん」と結びつきます。同時に「これやってみたい!」と興味がわいたことを覚えています。もの凄い衝撃的な様子でしたが、2人目からは最後まで付き添って観察することが出来ました。

観察している間、ジェフさんが英語で色々と説明してくれましたが意味が分かりません。ただ、何度も出てくる単語『エンバーミング』や『エンバーマー』は耳に残りました。あとで、通訳の方に意味をお聞きすると、エンバーミングはご遺体を処置する行いで、エンバーマーは処置をする人であることを知りまりました。「死んだ人を綺麗にするお医者さん」ではなく、『エンバーマー』というれっきとした名称があることを初めて知った瞬間でした。

その日から約3週間、父が凄いと言ってはばからなかったエンバーミングに触れ体験したことは、将来を暗示するかのような経験だったかもしれません。

ちょうどこの時期は、父が当時の厚生省から承認を得て海外のエンバーマーを招聘しはじめた頃でもありました。そして、エンバーミングを葬儀サービスの一環として本格的にスタートしたばかりだったのです。あとで知りますが、承認を得るまで約2年かかったそうです。

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