喪に服する色 – Mourning color –

日本人が喪に服する色は“白”だった!

喪服。普段はなかなか着ることの無い服。一人前の大人になると「用意しとかなきゃ」と思う服。
喪服はいつから着るようになったのか。なぜ“黒”なのか。そして喪服を着ている人は何故美しく見えるのか。今回は、そんな喪服に焦点をあててみました。

喪服=黒”は最近の事?
私達は“喪服=黒”とイメージしますが、日本の歴史をみてみるとそうではなかった事がわかってきます。古代の文献である「日本書紀」や「隋書倭国伝」、「万葉集」に登場する喪服はなんと“白”だったのです。白→黒→白→黒と変化をしてきたようですが、一体いつ頃から喪服を着用していたのでしょうか?

色の変遷

起源は定かではありませんが歴史は古く、持統(じとう)天皇(第41代・女帝/飛鳥時代)の遺言の一部に「葬儀は倹約をこととし、素服と挙哀は禁止」とあります。
この「素服」とは質素な白服を意味し、これを着用して喪に服したといわれています。これが喪服であり、日本古来の喪服は“白”であったことを示しています。ちなみに「挙哀」とは「あぁ、悲しいかな」と言って礼拝することですが、いずれも仏教以前の葬儀の基本をなすものです。葬儀を大げさに象徴するものとして、これらを禁止したのでしょう。
余談になりますが、タレントの「神田うのさん」の“うの”という名は、持統天皇の幼名:鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)が由来だそうです。

では、“白→黒”へ変わったのはいつでしょうか?
時は奈良時代、718年に「養老喪葬令/藤原不比等らが大宝律令を若干編纂した律」が発令されました。それによると「天皇は直系二親等以上の喪には『錫紵(しゃくじょ)』を着る」とあります。
「錫紵」とは、「浅黒色、墨染めの色」を意味します。中国の「唐書」に「皇帝が喪服として錫衰(しゃくさい)を着る」と書かれてあり、この中国の制を模して定められたものと考えられています。ただここで、お国の違いからか大きな誤解をしたようです。唐で言う「錫」とは、灰汁処理した目の粗い麻布を表し、それは白い布だったのです。何故か日本人は金属のスズと解釈し、薄墨にそめてしまったのです。そう、勘違いから喪服の色が“白→黒”へと変わったのです。

時が過ぎ、時代は平安時代。その頃になると貴族階級にもこの「錫紵色」は広まり、薄墨から次第に濃い色合いに変化してきます。これは、より黒い方が深い悲しみを表現すると考えられたからでした。そして平安後期になると、一般的に“黒”が着られるようになったようです。

黒→白”へふたたび
更に室町時代になると、何故か白が復活します。貴族階級では“黒”が一般的となっていても、庶民の間には浸透していなかったのかもしれません。また、経済的に余裕のある貴族達とは違い、庶民にとっては着る機会の少ない服であったため、“喪服=白”のままだったとも考えられます。
いずれにせよ、“白”の方が馴染みがあった為か、ふたたび“白”になったことは不思議ではないかもしれません。

戦国の武将 伊達政宗の白装束
時代劇の切腹のシーンを思い出してみると、白い着物を身にまとっています。そう、私達の知る死装束です。戦国時代には死の装束は“白”であり、こうした侍文化は現代を生きる私達も何気なく目にしている事がわかります。
あの有名な武将、伊達政宗公の逸話の中にもそれを思い起こさせる話がありました。ご存知の方も多いと思いますが、伊達政宗は秀吉の統治下にある芦名氏を滅ぼし、奥州一の大国を築きました。しかしそれは秀吉の逆鱗に触れました。おりしもその秀吉から何度も小田原城参陣の督促がきていました。秀吉に臣従し参陣すべきか否か。藩論も割れ騒然とするなか、政宗は小田原行きを決意したのです。秀吉に謁見する様子は「政宗は決死の覚悟で髪を白水引で結び、白装束で身を固め秀吉に謁した。」とあります。こうして政宗はお家存亡の危機を突破し、秀吉の軍門に下ったのです。

こうした逸話からもわかるように、それからしばらくは“白”の時代の再来です。それは明治維新を機にヨーロッパの喪服を取り入れるまで続きます。明治30年、皇室の葬儀の際、政府は諸国の国賓の目を気にして“黒”に統一されたのがきっかけとなり、後に皇室の喪服は“黒”と正式に規定されるようになりました。庶民に“黒”が定着するのはそれからしばらく後の、第二次世界大戦中からでした。戦死者を送る葬儀が多くなって、貸衣装店は汚れやすい“白”でなく、汚れが目立たない“黒”を揃えるようになりました。手入れのしやすさや欧米諸国の影響もあり、戦後は急速に“黒”が広まり、現在に至っています。

喪服姿は何故美しい

それにしても人は何故、喪服姿に美を感じるのでしょうか?
小説や映画の中で描かれている「女性の喪服姿」は特に美しいと感じさせられます。その一つには登場する人物の心情や表情と共に、ストーリーが描かれているかではないでしょうか。その一方で、私達が日常で経験し、感じている“人の死”に対しての思い。つまり、悲しみや命の尊さ、葬儀の厳粛さや緊張感といった中に見え隠れする心の動きを、喪服という衣裳が包んでいるからかもしれません。

また別の理由として、喪服を身につけた人の“喪に服する心”とそれを表す“シンプルな装い”にもあるといえるのではないでしょうか?ことに女性の場合、日頃よりも薄化粧で装いの色も抑え、敬いの気持ちを持って故人を送る...。まして、悲しみの感情をある程度抑え、会葬者の方々をもてなし、つつがなく故人を見送る。その凛とした姿の中に、究極の精神状態を抑え、相手を慈しむ心を感じるからこそ、喪服姿の人や女性を美しいと感じるのでしょう。

喪服という装い。私達がそこに美を見出すのは“人に対する愛と慈しみ”が、根底にあるからだといえそうです。

最後に

死装束の“白”は今でも変わりませんが、“黒”の喪服は2度にわたり外国から影響を受けた習慣ということになります。しかし、東北地方や北陸地方の一部では、白い喪服を着る習慣が残っている地域があるようです。そこには、伝統を重んじてきた美しい日本人の心が残っているのかもしれません。

 

参考資料
改訂 葬儀概論(表現文化社:2006/7/10発行)
日本喪服史 古代篇―葬送儀礼と装い―(増田美子著:源流社:2002)

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