仕事に対する想い – Essay of the funeral –

ある葬儀社でエンバーミングの研修を終えた後、会社の要請もあって「葬儀に対する想い」や「これまでの経験で印象に残っている葬儀」などについて感想文を書いていただきました。三人の担当者が綴る印象的な内容を紹介します。

 

こころに残った葬儀/葬儀担当者 A.Oさん

エレクトーンの生演奏に合わせて「ドラえもん」を口ずさむ6歳と3歳の女の子。喪主である父親の横で、母親と歌っていた曲が流れ出した瞬間、思わず歌い出した二人の姿は、会葬者の涙を誘いました・・・・・。まだ、現場の経験が浅かったわたしにとって、司会者という立場で関ったこの式が、最も心に残ると同時に、深く考えさせられた葬儀となっています。病気のために30歳という若さでこの世を去った故人の葬儀には、多くの友人も参列されました。導師退席後、友人代表の“お別れ”のご挨拶には、数年前にご夫婦の結婚式でスピーチをされた方が務められました。しかし、想像もしなかった今回のできごとに、彼女は「さようなら・・・は言いたくない、いつものように会いたい」と、あえて喪服ではない服装で参列し、事前に用意した言葉ではなく、温かく語りかけるように話され、きっと故人にも友人の思いは届いたに違いないと感じました。この時、彼女をはじめ、参列者の方々は、様々な想いを抱き、会葬されていることを改めて実感しました。また、この式では、開式前に葬儀担当者との式説明に伺った際に、喪主より結婚式の指輪を“形見”として手元に置きたいので、外して欲しいとの申し出がありました。しかし、故人の立場からしてみると「愛する夫との記念の指輪。二人をつなぐ指輪をはめたまま旅立ちたいのでは?」といった、親戚の意見もあり、考慮の末、喪主が「指輪は天国まで持っていってもらう」ということに。どちらの気持ちも分かるだけに、どちらが良いのかは難しいといえます。この時、各々の立場に立って考えることの重要性を深く感じました。

他にもこの式では、故人と喪主とが永遠の別れを惜しみながら最後の口づけをしているのに、心ではもう少しと思いながらも柩の蓋を閉じなければならない辛さを痛感し、やり直しの出来ない葬儀の厳粛さを知りました。それと同時に、人生最後であり最大のセレモニーに関れることの有難さを実感しました。

わたしは、これからも多くの人に、“葬儀”を通して感動していただくキッカケを作ったり、人生観を見つめなおすキッカケを作り出すことができればと思っています。そのためにも、自分自身に磨きをかけ、常に心にゆとりを持って人と接していきたいと思いました。

私の中での葬儀/葬儀担当者 K.Yさん

この職業に携わって、わたしは様々なことを学びました。その中でも特に、“人は死んでもその人の言葉は消えず、その人の手の温もりは忘れない。人間は一人だけでは生きていくことはできない”という言葉がわたしの中に残っています。

何故この言葉なのか、それは、この世に生まれきたということは、必ず親がいて、生を受けた子供は成長し、様々な出来事に逢い、小学校、中学校、高校・・・・・と進み、多くの友と知り合い、社会人となり、さらに多くの人と出会い関わっていきます。そして、やがて結婚し、今度は新たな生命が誕生し、自分が親となります。この当たり前のような人生の過程の中で、一番辛い出来事が、「愛別離苦」、愛する人と別れる苦しみということです。しかし、その辛さの中でも人は、優しい言葉や温もりを一生忘れることはない。そして、一人では生きていけない・・・・・ということに気づかされます。

わたしは、葬儀社の社員として多くの方の「愛別離苦」に立ち会ううちに、そのことを実感し、人間の素晴らしさや、生きることの強さを知ることができたように思います。だからこそ私は、打合せの席でご遺族からお葬式の規模について尋ねられることがあれば、心に残っている言葉を思い出し、価格や規模よりも、故人を送り出すご遺族の気持ちが大切ではないかと、お話させていただきます。

これから先も言葉の意味を大切にし、ご遺族のその時の状況や、心境を考えたお世話ができるよう、日々努力をしていきたいと思っています。

不安ヲ安心へ/葬儀担当者 H.Mさん

わたくしども葬儀社は、お亡くなりになられた故人、そして、ご家族と最短でも二日間、お付き合いをさせていただきます。昼夜を問わない突然の電話、「葬儀を頼みたいのですけど・・・」、「父が今亡くなったんですが・・・」などなど。様々な不安を抱えた声で葬儀の依頼をなさいます。電話を下さった方は、胸中一杯に広がる不安が、わたくしども葬儀社との電話のやりとりの中で、僅かながらの落ち着きを取り戻していただけるようです。

人が死と向き合うことは不安なことです。直接的であれ、間接的であれ、わたしは、その死と向き合った遺族を、いかにして不安を取り除いて差し上げられるかを考えます。

ご依頼を受け、搬送車でお迎えする時、わたしは恥ずかしながら、お経を唱えております。

五年前、初めて一人で搬送に向った時から現在に至るまで続けています。これからご遺体に向き合う自分への叱咤激励、今からご縁を結ぶご遺族への感謝、葬送の儀式が無事に滞りなく終えることができるようにという思いからです。

最近では、自宅で亡くなる方の割合はほんのわずかで、ほとんどの方が病院で最期を迎えられます。病院での対応、所作のあり方一つで、ご遺族のわたくしどもへの安心感や信頼感の半分が決まってしまうように思われます。

ご遺体を会館へ搬送し終えると、そこから葬儀の打合せがはじまります。その席で、ご遺族の不安などを払拭するために、お話を伺い不安な気持ちを察し、心を込めた会話を繰り返すことではじめて、ご遺族の心の中に本当の信頼や安心が生まれ、わたくしどもに葬儀を委ねていただけます。

葬儀を無事に終えて、わたくしどもに「大変な仕事ですね」と言葉をかけて下さる方がいらっしゃいますが、わたしは「この仕事が性に合っていますから」とお答えします。

わたしはこの仕事を、「花、無心にして蝶を招き/蝶、無心にして花を尋ぬ/花開く時、蝶来る/蝶来る時、花開く」と、考えています。だからこそ、葬儀に携わる者として、“威儀を正し、正直に、真面目”に取り組み、人としてもこの心持ちで生きていきたいと思っています。

これからもずっと・・・・・。

 

今回は、三人の担当者さんをクローズアップしましたが、他の方たちも情熱をもって仕事に取り組む姿勢が伺えました。シフト制とはいえ、365日24時間体制でお客様を迎え入れる現場の様子は改めて頭が下がります。

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