生きがい・真の喜び – Purpose of life –

15年くらい前に「感動 – CanDo -」という小冊子を販促用ツールとして発行し、会費をいただいて取引先である葬儀社や葬儀関連会社に配布していました。紹介する文章は、その時にある学校の先生から寄稿いただいたものです。改めて読み返してみると理解の深さが異なります。当時は「エンディング・デザイン」といったサブタイトルで、今でいう終活を促すような冊子でした。

 

人間と生きがいとは

自然界を深く見つめてみると、自然界は“自然のリズムで動いている”ことがよくわかります。植物は季節の移り変わりとともに芽を出し、花を咲かせ実を結ぶ。あくこともなく、この繰り返しの中で、植物は植物として生きているのです。そこには、“生きがい”という言葉が入り込む余地などなく、自然とともにあることのみが生そのものといえるのです。しかし、人間は自然のリズムの中に生きている存在でありながらも、何かに向かって生きていこうとします。“生きがい”がなければ生きていけない面を持っているといえます。そこが、植物といったものとは異なるところなのではないでしょうか。ただし、このことは人間が決して植物より優位であるというものではなく、生そのものの違いであり、むしろ、人間には生きがいがあるからこそ、そこに幸福や不幸が存在し、人生を豊かにしていると思えるのです。

ただ、生きがいも、その方向性を誤ってしまうと、人間の生そのものの本質を見失ってしまうことがあることも、人は意識しておく必要があることを忘れないようにしなければなりません。

生きがいの方向性

人間にとって“生きがい”の方向は、二つあるとわたしは思います。その一つは、「富を築きたい」、「名誉や地位が欲しい」といった上辺だけの幸福の獲得といった“我欲”の実現。つまり、“生きがい”の方向が自分の外の世界へ向いたものです。この外へ向いた生きがいは、我欲に根付いたものですから、際限もないし、獲得したものを喪失する不安をも同時に発生させてしまう可能性が高いため、人間の本質的な生きがいとはなりえないとわたしは感じています。
では、人間にとってのもう一つの生きがいの方向とは何かといえば、自己の内面への問いかけから、生きがいの本質を見つけ出し創っていくという、生きがいの方向が自分の内なる世界へ向いたものです。この場合、自己の生きる意味や生そのものに意識が向けられ、自己の生の獲得という“生きがい”へと昇華していくと思います。

真の生きがいとは

意識を内に向けることで、人間は「自己の生を獲得」という生きがいを見出すことができるといえますが、もっと奥深い人間としての“真の生きがい”を獲得するには、自己意識を内面へ向けること、自分は一人で生きているのではない、自分を囲む多くの人たちの“優しさ”、“思いやり”など、すべての出来事が縁ある人々の支えで成り立っていることに気づくことではないかと思います。なぜなら、この気づきや自覚こそ、人間の本質的な生の根幹となるものといえるからです。
だから、自分を支えてくれる縁ある人たちへの感謝の気持ち、他者や社会の役に立つことを実践していくことが重要となります。しかし、誰もがわかっていても、これらを常に実行していくのは、なかなか難しいものです。でも、それができた時の感動は、魂が震えるほどの喜びでしょう。そして、この瞬間にこそ私たちが求める“真のいきがい”を感じることができるに違いありません。

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